れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

心を閉ざすことで自分を守っている全ての人へ

「It's not your fault. It's not your fault. It's not your fault...
お前は何も悪くない。お前は何も悪くないんだ」

 


あぁ、私は許されたいんだ。
自分の殻に閉じこもってしまうことも、愛することを恐れてしまうことも、誰かに依存することでしか生きる価値を見出せないことも、全て。自分の醜くて大嫌いな部分を全て「あなたは何も悪くないんだよ」と許されたいんだ。そう思った。


なんでお前は普通の生き方ができないんだよ。なんでこんなに歪んだ人間に育ったんだ。なんでこんなに欠陥だらけなんだよ。
そうやって私のことを責め続ける誰でもない自分自身へ
「許してあげろよ。あいつは何も悪くないんだから」
と語られている気がした。

 

 

私は誰のことも愛さないと決めていた。
愛した人に裏切られるのが怖い。私がどれだけ愛しても、愛する人はいつか私に飽き、私よりも大事な人を見つけ、簡単に私を捨てる。
ならば誰も愛さなければいい。誰の心にも踏み込まず、誰にも自分の心に踏み込ませない。そうすれば誰からも裏切られることはないし愛されなくなることを恐れる必要もない。
寂しくなったら、適当な人と適当に遊べばいい。同性とご飯を食べて、友達がいるという安心感を得る。異性と寝て、女としての魅力があるという安心感を得る。そうやって薄っぺらい繋がりを感じながら生きていけばいい。大きな喜びはないが、その代わり大きな悲しみに暮れることもない。
誰も愛さない、それが自分を守る唯一の術だった。


だがショーンマグワイアは語りかける。愛する妻を亡くした痛みを抱えながら。

「悲しみは、忘れていた喜びの価値を思い出させる」
「そりゃ今も悲しい。だが妻との日々は1日たりとも後悔してない」
「君は完璧じゃない。君が出会った女の子も完璧ではない。問題なのは、お互いにとって完璧かどうかなのさ。それを確かめるには飛び込んでみるしかない。答えは自分で探すんだ」

 

彼は少しずつ、少しずつ、私の凝り固まった心をほぐしていく。人を愛することの素晴らしさを思い出させ、一歩踏み出す勇気を与えてくれる。


そして彼は私を抱きしめる。自分を責め続け、自分を許せない私を優しく包み込むのだ。「お前は何も悪くない」と。

 

f:id:renrenpiyo:20161230154043j:image

ASIN:B00005G1YZ

どうやら私は生きていてもいいらしい

「私はれんのこと愛しているよ」


待ちわびた言葉だった。

一生耳にすることがないと思っていた言葉だった。





『生きてて楽しいことなんて別にない。人生は辛い。毎日生きるの嫌だなーって思ってるし明日寿命がきても構わない。

でも自殺はできないんだよ。いつか幸せになれるときがくるんじゃないかって思っちゃうの。幸せになりたいっていう希望が捨てきれないんだよね。

じゃあどうすれば幸せになれるんだろう。私にとっての幸せってなんなんだろう。って考えたんだけど、やっぱそれはどう考えても「愛されること」なんだよ。愛されることが私の幸せ。誰かに愛されることで自分の生きる価値を見出せる。生きててもいいんだ、存在価値があるんだって思える。

たしかに私は両親に愛されて育ったと思うよ。でも親からの愛じゃ足りないの。他人からの愛じゃないと意味がないの。両親の愛は無償の愛じゃん。自分たちの子どもってだけで、私の内面に関係なく絶対的に愛してくれるじゃん。それだけじゃ足りないんだよ。親は私のことを愛しているけど私のことをわかってはいないから。血の繋がりのない、赤の他人から、私の内面に魅力を感じてもらえて、「自分の子どもだから」じゃなくて「私だから」愛されないとダメなの。

友達はいるよ。いるけど、友達から愛されてるとは思わない。そもそも友達ってなんなんだろう。友達っていうのが正直よくわかんないんだよね。友達との距離感がよくわからない。だって、友達には他にも友達がいるじゃん。私だけじゃない、私が唯一無二の絶対的な存在ってわけじゃないじゃん。彼氏と彼女は絶対的じゃん。彼女って特別な存在、唯一無二の存在じゃん。だから私を特別な存在として認識してくれて恋人っていう契約を結んでくれることで愛されてるって思えるし生きる価値があるって思えるんだよ。

私が本当に話してて楽しくて会いたいって思える友達、2人だけだよ。あとは「私には友達がいる」って安心するために会ってるだけ。でもその2人だって、私がどんなにその人のことが好きでも、契約結んでるわけじゃないから相手がどう思ってるかはわかんないじゃん。その人は私のことをそこまでの存在だと思っていないかもしれないし、私よりももっと仲が良くて好きな友達がいるかもしれない。そう思うと申し訳なくなってきちゃうの。私のあなたに対する愛は重いだろうなって、ごめんね、私ばっか好きでごめんねって思っちゃうの。

だから私は友達から愛されてるって思えないし事実きっと愛されてないんだと思う。

友達にここまで求めるのはおかしいってわかってるよ。でもだめなの。私は愛に飢えてて、愛されたくてしょうがなくて、友達にまでそのレベルを求めてしまうの。友達の交友関係に嫉妬してしまうほど。

なんでこんな拗らせちゃったんだろう。両親から普通に愛されて育ってきたはずなのに。なんでこんな歪んじゃったんだろう』




と、つらつらと、長々と、友達に語ってしまった。どう考えても友達に話すべきではない内容の話を。こんなに醜くてどろどろした身の上話を。


私は彼女のことが大好きで、一番の親友だと思っていて、友達の中で唯一暗い話ができる存在で、でも彼女にはおそらく私以上に深い仲の親友がいて。そういう存在の人に話してしまった。

本当に会いたいのは2人って言ったけど、本当は彼女1人だけだった。重いって思われたくなくて2人って言っておいた。

酔っ払っていた。いわゆる病み期真っ只中で辛かった。吐き出したかった。


彼女はある部分には共感したり、ある部分にはよくわからないらしい反応をしたりしていた。

私は胸の奥にあったモヤモヤを誰かに吐き出せたというすっきりとした気持ちとともに、友達にこんな暗い話をしてしまった後悔の念も生まれていた。




わりと酔っ払って解散した後、彼女からラインがきた。


「わたしはれんのこと愛しているよ」

「なんか親からしか愛されてないって話聞きながら、いやわたしも愛してるけどなと普通に思ったけど、なんかきもいなと思ってやめた笑」




「わたしはれんのこと愛しているよ」



泣いた。電車に乗っていたけど、周りの人の視線を感じたけど、どうしても涙がとまらなかった。

私は愛されている。人から愛されている。生きててもいいんだ。生きる価値があるんだ。


私は愛されていた。

嗚咽がまじる。周囲の視線が集まる。もうどうでも良かった。私は愛されている。

根暗で、自意識を拗らせていて、愛に飢えているイタイ女を、愛してくれている人がいる。


愛されている。愛されている。愛されている。


幸せだった。




どうせ明日になればこの幸福をすっかり忘れて、また死にたいと思うのだろう。

生きる意味なんてない、生まれてしまったのだから生きるしかない、と諦めながら生きていくのだろう。


でも、こういう瞬間があるから、人の愛を、温もりを感じられる瞬間があるから、私は生きることを諦めきれないのだろう。幸せを求めてしまうのだろう。




彼女のせいで、明日も死に損ないだ。


彼女のおかげで、明日も死に損ないだ。