れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

バタフライ・エフェクトのネタバレを含んだ甘美な陶酔

‪このあいだ『バタフライ・エフェクト』をみて

 

たしかに私と出会ったことで好きな人が不幸になってしまうなら迷わず出会わなかった未来を選択するけど、逆にもし好きな人と出会ったことで私が不幸になってしまっても絶対に過去を変えてほしくはないな。

たとえ今不幸でも、好きな人との幸せな思い出をなかったことにはしたくないから。

 

とロマンチックな思いにふけっていたんですが、昔好きだった人に対してはまじで最悪まじで記憶消したいと思っているので、まぁそういうことですね。

甘え、期待、苛立ち。

バットマンビギンズ」を観た。続けて「ダークナイト」を観た。途中で停止ボタンを押してしまった。

 

私はとても影響されやすいタイプの人間で、それを繊細だとか感受性が豊かだとかなんて言うのかはよくわからないけれど、とにかく、バッドマンシリーズを観たら精神がやられてしまった。

 

悪が、人間の悪の部分が、もうこれでもかっていうくらい描かれていて、まずここでめちゃくちゃ気が滅入った。
お口直しに楽しい映画でもみようと思い「スラムドッグ$ミリオネア」を再生。
スラム育ちの青年がどんどんクイズ解いていってオォーースゲェーースカーーッハッピーー!ってやつだと思っていたらまあまあな大違いで、スラム街で生まれた子どもたちの過酷な生活と残酷な運命が丁寧に丁寧に描かれていてさらに気を病んでしまった。
完全に選択ミスだ。
人間はクソだし世界は汚い。無理。

 

ひと通り嫌〜なお気持ちに浸ってさぁ寝よう、というところで次に襲ってくるのが数々の残虐なシーン。
私は普段あたたかいヒューマン系の映画しか観ないのでそういうシーンへの耐性がまじでない。
人が痛めつけられるシーンや殺されるシーンが脳裏をよぎりによぎり怖くて眠れない。

 

よし、好きな人の顔でも思い浮かべて心を落ち着かせようと思うも、顔がうまく思い浮かべられない。
なんかこわいかんじの顔にすり替わる。
もうお手上げだ。今日は怖い夢を見る覚悟で眠りにつこう。

 

諦めたそのとき、寝てしまったとばかり思っていた恋人からラインが。

 

ここで、ここで甘えが出てしまった。
大のオトナが映画をみてこわくて眠れないなんてダサすぎる、というか呆れる。
せめて自分でどうにかするべきだ。
なのに、恋人に助けてもらいたい、共有したい、頼りたい、という完全にダメな甘え欲がふつふつと湧き出てしまった。通話ボタンを押す私。

 

恋人「もしもし?…え?電話してきたのそれが理由?ごめん今友達といるから電話無理だわ。ラインでなら相手できるから」

 

私「ラインならいい。わかったおやすみ」ピッ

 

追い打ちを食らった。
まじで、まじで電話したことを後悔している。

 

そのあともラインくれたよ、「大丈夫?」とか、気を紛らわせるように楽しい話してくれたりね。

 

彼は優しいと思う。
でも、私がしてほしいのはそういうのじゃなかった。
電話で、文字じゃなくて言葉で発したかった。
こういうのを観て、こう思って、こわくて、あなたの顔も思い浮かべられなくて、、、
それをうんうんって聞いてほしかった。
恐怖心を吐き出させてほしかった。

 

彼は彼なりに最善の対応をしてくれたと思う。
だから彼の対応に対して、自分の思い通りにいかなかった苛立ちをぶつけてしまった自分に怒りが湧いてくる。

 

勝手な期待を押しつけて、彼なりの優しさを受け取れない自分が嫌になる。

 

甘えてるなぁ、自分。
自立してよ、精神的に。頼むよ。

 

穏やかな人間になりたい。

苦しむことを苦しむ日々が

若林正恭『社会人大学 人見知り学部 卒業見込』を読んで自分の中の自意識過剰な部分が爆発し、西加奈子『舞台』を読んでそんな自分を愛しいとさえ思えるようになった。

 

 

私は自意識過剰だ。人がそれほど私のことに関心がないことなど十分承知している。わかってはいる、けど、どうしても人の目を気にしてしまう。誰からも何も思われないような言動を心がける。人からどう思われるか気にするあまりがんじからめになり何もできなくなることも多々ある。

 


‪商品をレジに持って行くときは必ず財布を手に持ってから向かう。事前に小銭を確認し何円玉が大体何枚入っているか把握しておくのを忘れない。自分ができうる最大限の速さで会計を済ませ、店員及び後ろに並ぶ客に「モタモタするな」とイラつかれないようにするために。‬

 

‪試着をするのが苦手だ。忙しくしている店員に声をかけるタイミングがわからない。「すいません」その一言で相手を苛つかせてしまわないだろうか。こんなブスがこの服を?と思われないか。服を着たら店員に見せるべきだよな…無理だ。「着ました!見て!私の姿を!」と言っているみたいではないか。どのタイミングでカーテンを開ければいい?早すぎず遅すぎないタイミングがわからない。そのあとの店員からのお世辞にはどう答えればいい?服を買い慣れ店員とのやりとりもお手の物なイマドキの女性に見られるにはどのような受け答えをするのが正解か?そもそも試着をして鏡で見てみた時点で買うか買わないか判断はついている。しかしそこで即決してはいけない。店員に見せ、彼女のアドバイスをもとに決断せねばならない。どのタイミングで買うか買わないかを発言すれば自然か?‬
‪そんなことに考えを巡らせてしまうので試着という行為にとてつもない疲労を感じてしまう。

‪子どもは、見ている分には可愛くて好きだが接するのは苦手で嫌いだ。不意に赤ちゃんと目が合うと癒されるし「かわいい」と言いそうになる。でもだめだ。「赤ちゃんをかわいいと思う自分かわいい」アピールになってしまう。一方で「ガキは嫌い」というのはモラル的になんかダメな気がする。でも子どもを嫌いだと思う自分をどこか誇らしく思ってしまう。そんじゃそこらの女とは違う感性を持った自分、カッコいい。そして次の瞬間「子ども嫌いな自分カッコいい」と思ってしまった浅はかな自分を猛烈に恥じる。そうやって自分自身を責めることで向き合うことから逃げている自分をまた嫌悪する。そんな自意識とのいたちごっこの日々。‬

 


‪こういう自分の自意識過剰でネガティブで考えすぎな部分に関する悩みを打ち明けると言われるのが‬
‪「そんなの大したことないよ。しょうもないことで悩みすぎ。あなたは恵まれてるんだから。もっと楽しもうよ」‬

 

‪こんなことに悩む私は贅沢なの?私は悩んではいけないの?こんなことで苦しむのはおかしなことなの?悩むのはいけないことなの?‬
‪そうやって、自分が苦しんでいることに苦しんだ。

 


‪でも‬

 

‪どうやら悩んでもいいらしい。‬
‪私の苦しみは私のもの。‬
‪贅沢な悩み?だからなんだ。‬
‪私の苦しみは私しか苦しめない。私しか存分に苦しんであげられない。‬
‪こんなに自意識過剰な自分、もはやなんか愛しくない?‬

 

‪そんな風に思えるようになった。

 


‪これからも私は自分の自意識過剰さに存分に苦しみ、そしてそんな自分を存分に愛す。‬

 

 

 

‪「自分を『演じる』こともある。そんな自分も愛してほしい。」-西加奈子

 

心を閉ざすことで自分を守っている全ての人へ

「It's not your fault. It's not your fault. It's not your fault...
お前は何も悪くない。お前は何も悪くないんだ」

 


あぁ、私は許されたいんだ。
自分の殻に閉じこもってしまうことも、愛することを恐れてしまうことも、誰かに依存することでしか生きる価値を見出せないことも、全て。自分の醜くて大嫌いな部分を全て「あなたは何も悪くないんだよ」と許されたいんだ。そう思った。


なんでお前は普通の生き方ができないんだよ。なんでこんなに歪んだ人間に育ったんだ。なんでこんなに欠陥だらけなんだよ。
そうやって私のことを責め続ける誰でもない自分自身へ
「許してあげろよ。あいつは何も悪くないんだから」
と語られている気がした。

 

 

私は誰のことも愛さないと決めていた。
愛した人に裏切られるのが怖い。私がどれだけ愛しても、愛する人はいつか私に飽き、私よりも大事な人を見つけ、簡単に私を捨てる。
ならば誰も愛さなければいい。誰の心にも踏み込まず、誰にも自分の心に踏み込ませない。そうすれば誰からも裏切られることはないし愛されなくなることを恐れる必要もない。
寂しくなったら、適当な人と適当に遊べばいい。同性とご飯を食べて、友達がいるという安心感を得る。異性と寝て、女としての魅力があるという安心感を得る。そうやって薄っぺらい繋がりを感じながら生きていけばいい。大きな喜びはないが、その代わり大きな悲しみに暮れることもない。
誰も愛さない、それが自分を守る唯一の術だった。


だがショーンマグワイアは語りかける。愛する妻を亡くした痛みを抱えながら。

「悲しみは、忘れていた喜びの価値を思い出させる」
「そりゃ今も悲しい。だが妻との日々は1日たりとも後悔してない」
「君は完璧じゃない。君が出会った女の子も完璧ではない。問題なのは、お互いにとって完璧かどうかなのさ。それを確かめるには飛び込んでみるしかない。答えは自分で探すんだ」

 

彼は少しずつ、少しずつ、私の凝り固まった心をほぐしていく。人を愛することの素晴らしさを思い出させ、一歩踏み出す勇気を与えてくれる。


そして彼は私を抱きしめる。自分を責め続け、自分を許せない私を優しく包み込むのだ。「お前は何も悪くない」と。

 

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どうやら私は生きていてもいいらしい

「私はれんのこと愛しているよ」


待ちわびた言葉だった。

一生耳にすることがないと思っていた言葉だった。





『生きてて楽しいことなんて別にない。人生は辛い。毎日生きるの嫌だなーって思ってるし明日寿命がきても構わない。

でも自殺はできないんだよ。いつか幸せになれるときがくるんじゃないかって思っちゃうの。幸せになりたいっていう希望が捨てきれないんだよね。

じゃあどうすれば幸せになれるんだろう。私にとっての幸せってなんなんだろう。って考えたんだけど、やっぱそれはどう考えても「愛されること」なんだよ。愛されることが私の幸せ。誰かに愛されることで自分の生きる価値を見出せる。生きててもいいんだ、存在価値があるんだって思える。

たしかに私は両親に愛されて育ったと思うよ。でも親からの愛じゃ足りないの。他人からの愛じゃないと意味がないの。両親の愛は無償の愛じゃん。自分たちの子どもってだけで、私の内面に関係なく絶対的に愛してくれるじゃん。それだけじゃ足りないんだよ。親は私のことを愛しているけど私のことをわかってはいないから。血の繋がりのない、赤の他人から、私の内面に魅力を感じてもらえて、「自分の子どもだから」じゃなくて「私だから」愛されないとダメなの。

友達はいるよ。いるけど、友達から愛されてるとは思わない。そもそも友達ってなんなんだろう。友達っていうのが正直よくわかんないんだよね。友達との距離感がよくわからない。だって、友達には他にも友達がいるじゃん。私だけじゃない、私が唯一無二の絶対的な存在ってわけじゃないじゃん。彼氏と彼女は絶対的じゃん。彼女って特別な存在、唯一無二の存在じゃん。だから私を特別な存在として認識してくれて恋人っていう契約を結んでくれることで愛されてるって思えるし生きる価値があるって思えるんだよ。

私が本当に話してて楽しくて会いたいって思える友達、2人だけだよ。あとは「私には友達がいる」って安心するために会ってるだけ。でもその2人だって、私がどんなにその人のことが好きでも、契約結んでるわけじゃないから相手がどう思ってるかはわかんないじゃん。その人は私のことをそこまでの存在だと思っていないかもしれないし、私よりももっと仲が良くて好きな友達がいるかもしれない。そう思うと申し訳なくなってきちゃうの。私のあなたに対する愛は重いだろうなって、ごめんね、私ばっか好きでごめんねって思っちゃうの。

だから私は友達から愛されてるって思えないし事実きっと愛されてないんだと思う。

友達にここまで求めるのはおかしいってわかってるよ。でもだめなの。私は愛に飢えてて、愛されたくてしょうがなくて、友達にまでそのレベルを求めてしまうの。友達の交友関係に嫉妬してしまうほど。

なんでこんな拗らせちゃったんだろう。両親から普通に愛されて育ってきたはずなのに。なんでこんな歪んじゃったんだろう』




と、つらつらと、長々と、友達に語ってしまった。どう考えても友達に話すべきではない内容の話を。こんなに醜くてどろどろした身の上話を。


私は彼女のことが大好きで、一番の親友だと思っていて、友達の中で唯一暗い話ができる存在で、でも彼女にはおそらく私以上に深い仲の親友がいて。そういう存在の人に話してしまった。

本当に会いたいのは2人って言ったけど、本当は彼女1人だけだった。重いって思われたくなくて2人って言っておいた。

酔っ払っていた。いわゆる病み期真っ只中で辛かった。吐き出したかった。


彼女はある部分には共感したり、ある部分にはよくわからないらしい反応をしたりしていた。

私は胸の奥にあったモヤモヤを誰かに吐き出せたというすっきりとした気持ちとともに、友達にこんな暗い話をしてしまった後悔の念も生まれていた。




わりと酔っ払って解散した後、彼女からラインがきた。


「わたしはれんのこと愛しているよ」

「なんか親からしか愛されてないって話聞きながら、いやわたしも愛してるけどなと普通に思ったけど、なんかきもいなと思ってやめた笑」




「わたしはれんのこと愛しているよ」



泣いた。電車に乗っていたけど、周りの人の視線を感じたけど、どうしても涙がとまらなかった。

私は愛されている。人から愛されている。生きててもいいんだ。生きる価値があるんだ。


私は愛されていた。

嗚咽がまじる。周囲の視線が集まる。もうどうでも良かった。私は愛されている。

根暗で、自意識を拗らせていて、愛に飢えているイタイ女を、愛してくれている人がいる。


愛されている。愛されている。愛されている。


幸せだった。




どうせ明日になればこの幸福をすっかり忘れて、また死にたいと思うのだろう。

生きる意味なんてない、生まれてしまったのだから生きるしかない、と諦めながら生きていくのだろう。


でも、こういう瞬間があるから、人の愛を、温もりを感じられる瞬間があるから、私は生きることを諦めきれないのだろう。幸せを求めてしまうのだろう。




彼女のせいで、明日も死に損ないだ。


彼女のおかげで、明日も死に損ないだ。