れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

苦しむことを苦しむ日々が

若林正恭『社会人大学 人見知り学部 卒業見込』を読んで自分の中の自意識過剰な部分が爆発し、西加奈子『舞台』を読んでそんな自分を愛しいとさえ思えるようになった。

 

 

私は自意識過剰だ。人がそれほど私のことに関心がないことなど十分承知している。わかってはいる、けど、どうしても人の目を気にしてしまう。誰からも何も思われないような言動を心がける。人からどう思われるか気にするあまりがんじからめになり何もできなくなることも多々ある。

 


‪商品をレジに持って行くときは必ず財布を手に持ってから向かう。事前に小銭を確認し何円玉が大体何枚入っているか把握しておくのを忘れない。自分ができうる最大限の速さで会計を済ませ、店員及び後ろに並ぶ客に「モタモタするな」とイラつかれないようにするために。‬

 

‪試着をするのが苦手だ。忙しくしている店員に声をかけるタイミングがわからない。「すいません」その一言で相手を苛つかせてしまわないだろうか。こんなブスがこの服を?と思われないか。服を着たら店員に見せるべきだよな…無理だ。「着ました!見て!私の姿を!」と言っているみたいではないか。どのタイミングでカーテンを開ければいい?早すぎず遅すぎないタイミングがわからない。そのあとの店員からのお世辞にはどう答えればいい?服を買い慣れ店員とのやりとりもお手の物なイマドキの女性に見られるにはどのような受け答えをするのが正解か?そもそも試着をして鏡で見てみた時点で買うか買わないか判断はついている。しかしそこで即決してはいけない。店員に見せ、彼女のアドバイスをもとに決断せねばならない。どのタイミングで買うか買わないかを発言すれば自然か?‬
‪そんなことに考えを巡らせてしまうので試着という行為にとてつもない疲労を感じてしまう。

‪子どもは、見ている分には可愛くて好きだが接するのは苦手で嫌いだ。不意に赤ちゃんと目が合うと癒されるし「かわいい」と言いそうになる。でもだめだ。「赤ちゃんをかわいいと思う自分かわいい」アピールになってしまう。一方で「ガキは嫌い」というのはモラル的になんかダメな気がする。でも子どもを嫌いだと思う自分をどこか誇らしく思ってしまう。そんじゃそこらの女とは違う感性を持った自分、カッコいい。そして次の瞬間「子ども嫌いな自分カッコいい」と思ってしまった浅はかな自分を猛烈に恥じる。そうやって自分自身を責めることで向き合うことから逃げている自分をまた嫌悪する。そんな自意識とのいたちごっこの日々。‬

 


‪こういう自分の自意識過剰でネガティブで考えすぎな部分に関する悩みを打ち明けると言われるのが‬
‪「そんなの大したことないよ。しょうもないことで悩みすぎ。あなたは恵まれてるんだから。もっと楽しもうよ」‬

 

‪こんなことに悩む私は贅沢なの?私は悩んではいけないの?こんなことで苦しむのはおかしなことなの?悩むのはいけないことなの?‬
‪そうやって、自分が苦しんでいることに苦しんだ。

 


‪でも‬

 

‪どうやら悩んでもいいらしい。‬
‪私の苦しみは私のもの。‬
‪贅沢な悩み?だからなんだ。‬
‪私の苦しみは私しか苦しめない。私しか存分に苦しんであげられない。‬
‪こんなに自意識過剰な自分、もはやなんか愛しくない?‬

 

‪そんな風に思えるようになった。

 


‪これからも私は自分の自意識過剰さに存分に苦しみ、そしてそんな自分を存分に愛す。‬

 

 

 

‪「自分を『演じる』こともある。そんな自分も愛してほしい。」-西加奈子