れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

まったく、諦めの悪い奴だ。

生まれて初めて「死にたい」と思ったとき、私はツイッターを始めた。

最近、プロフィール画面に利用開始年月が表示される仕様になった。
どうやら私は2015年5月からこのアカウントを利用しているらしい。
あのときは生きることが辛くて辛くて、吐き出すように言葉を連ねていた。
一番初めの投稿は、たしか「考える葦じゃなくて普通の葦になりたかった」みたいなやつだったと思う。

そして現在。
引き続き辛い。
今も「ダンゴムシになりたい」だとか「カバになりたい」だとか、ひたすら人間以外の何かになりたいと願っている。
ツイッターを始めてなんと3年の月日が流れている。
もう3年も死にたいと思いながら生きているのか。

そこでふと考える。
いつ、見切りをつけるべきなのか。
どのタイミングで諦めるべきなのか。

死にたいと思った大学休学時から、様々な環境の変化があった。
就職が無事決まり、晴れて社会人生活スタート、最高の彼氏ができた。
至極順風満帆のように見える。

でも、死にたい。
この鬱々とした気持ちは変わらない。
こんなに状況が変わったのに死にたいって、じゃあもうどうすりゃいいんだ。

「止まない雨はない」
そうだね、その通りだね、たしかに雨はいつか降り止む。
私だって、四六時中死にたいって思っていたわけじゃない。
生きようと思っていた時期だってある。
例えば就職がしたてで全てが新鮮だった頃だとか、彼氏との生活が楽しくて仕方ないときだとか。
でも、そんなちょっとした晴れ間なんて長くは続かなくて、またすぐに雲に覆われてはいつもの雨に逆戻り。

多分私は環境を変えれば良くなるとかそういう問題ではなくて、私という個体が精神的に弱くて社会に順応することが難しい仕様になっているんだと思う。

ただ、こんなに死にたい死にたいと思っていても、他の死にたい勢の人たちと違わず、やはり実行にはなかなか移せない。
この期に及んでどこか、なにかに期待してしまっている。
だから、なんとかして生きようと思えるようにならないかと日々模索しているけども、答えは見つからない。
八方ふさがり。完全に手詰まり。

だから、どこかで見切りをつけないといけないんだと思う。
どこかで諦めなきゃならない。
私はやっぱり無理でした。人間として生きるのに向いていませんでした。
このままずるずる生き続けてもしんどさばかりが積み上がり精神的苦痛が増すだけなので覚悟を決めて死にます。さようなら。
みたいに。

そう考えながらも、今日もその見切りとやらをつけることができずヒィヒィ言いながら生きている。