れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

しんどいもんはしんどい

どの仕事にも閑散期と繁忙期というのがあると思う。

私は最近繁忙期に入り、会社を出るのが毎日22時や23時という生活が続いている。
もちろん私より忙しい人たちはいくらでもいる。こんなんで辛いとか甘え以外のなにものでもない。その通りだと思う。残業自慢をしようと思っているのではない。
ただ、他と比較してではなく、私個人の感じ方として、けっこう、いやかなり疲労が溜まっている。しんどい。
そう、しんどいとか辛いとかそういった感情って人と比較したり数値化したりできるもんじゃないんだよね。
原因がなんであれ、その人が辛いと思ったら辛い。その感情に大小や優劣はない。

まず口内炎ができた。しかも全然治らない。
原因はストレス。
次に皮膚がただれたように炎症を起こした。全然治らない。
原因はストレス。
慢性的な疲労。睡眠不足。

人と話すこと、会うことが億劫になった。
もともと内向的で一人でいる時間のほうが長かったけど、それでも前まではたまに友達に会いたくなって楽しく遊んだりしてた。
今は全く、もう全く会いたいと思えない。
とにかく人に会わず話さず一日中寝て少しでも疲労を回復したい。なにもしたくない。

同居している家族と顔を合わせるのも嫌になった。
毎晩ご飯を作ってくれて洗濯もしてくれる。本当にありがたいことだと思う。
でも、疲れて家に帰っても人と顔を合わせないといけない、会話をしないといけないということが正直めちゃくちゃしんどい。全然心が休まらない。
いくら何年も一緒に暮らしてきた家族といっても全く気を遣わないんけじゃないし。
話しかけられたら返事をしないといけない。
出された食事は食べないといけない。
やってくれたことに対して感謝の意を示さないといけない。
ストレス。ストレス。ストレス。

休日は2日じゃぜんぜん足りなくて、2日間ダラダラ寝倒したら「せっかくの休日なのになにもせずに終わってしまった。働くために休んでいるようなもの。意味わかんない」と自己嫌悪に陥り心のリフレッシュが全くできないし、外に出かけたら出かけたで疲れすぎて身体的なリフレッシュが全くできない。

ググったら「うつの一歩手前」らしい。
まあそうだよね。人に会えないって典型的なうつだもんね。

「休めない時期 ストレス軽減法」でググったら出てきた記事には「上司に根回しをして休みましょう」。
そうですか。

なんでだろうね。
他のみんなも同じように長時間労働してるのになんで私だけ心身ともに異変が起きちゃってるの。
なんで私はストレス耐性がないんだろう。
どうすればいいんだろう。

日曜の夜、明日からのことを考えて毎回眠れなくなる。


でも、大丈夫。
私は知っている。
こうやって弱音を吐き出せばなんとかなる。
人に話すのが疲れるならこうやって文字に書き出せばいい。

人に話すと「不幸自慢ぽくなってないかな。悲劇のヒロイン演じてんじゃねぇよとか、これくらいで何言ってんのとか思われないかな。」ってめっちゃ気にしちゃうよね。

ブログのほうが「誰がなんと言おうとしんどいもんはしんどいんじゃ!」って素直に吐き出せるよね。

うん、私にとっては文章に書き出すことがストレスの発散方法になってる。

 

永遠に繁忙期が続くわけじゃない。
終わりは見えている。

大丈夫。大丈夫じゃないけど、大丈夫。

これは仕事ではない、作業だ

最近、転職したいなぁと思い始めた。

事務職として働き始めて9ヶ月。
初めの半年間は非常に楽しかった。
毎日新しい仕事を覚えていくことで自分が社会人として成長している気がしたし、新しい知識を吸収していくことでスキルを身につけていっている気もしていた。

そして仕事にも慣れ一通りのことは滞りなく行えるようになってきた頃、はたと気づいてしまった。


私がしていることは「仕事」というよりも「作業」に近い。


なにも生み出さず、与えられたことを淡々とこなす作業。機械のほうがより速く正確に行える作業。近い将来AIに取って代わられるであろう作業。

凄まじい劣等感に襲われるようになった。

どれだけ残業しても仕事をしている実感を得ることができず「今やってること、バイトでもできるよなぁ」と思いながら過ごすようになった。
周りのみんながバリバリ働いて成長していく中、一人取り残されていくような気持ちになった。
自分がどんどん無価値で無能で落ちぶれた人間になっていってしまうような気になっていった。


多分、自分の市場価値をきちんと自覚できていないんだと思う。
それなりに勉強ができてそれなりの大学を出たプライド。
自分はできるという根拠のない自信。
そこらへんの大学生と一緒。
転職してこっちにきた先輩何人かに話を聞いてみたけど、みんな口をそろえて「自分はできる人間だと思っていた。でも現実はすごく厳しかった。なにもできなかった。そうやって挫けたから今のこの仕事に納得して働けている」。


営業が嫌だったから事務を選んだ。
文系の7割は営業職と言われているけれど、内向的な性格だから多分向いてないしやりたくない。
外交的な人たちが集まる活気のある業界にいったら絶対疲弊して潰れて終わる。自分にそんなバイタリティなんてない。
競争なんて嫌。やりがいなんてなくていいから奥でひっそりと働きたい。
そういう気持ちで当時事務職を選んだから、今事務職に感じている不満や他の職種への憧れは完全に「隣の芝生は青い」状態だと思う。

他の職種でもルーティンワークや地味な作業はあるだろうし、みんながみんなやりがいを感じているわけではないかもしれない。


でも、実際隣の芝生に行ってみて別に青くともなんともなかったって実感しないと今の仕事に永遠に納得できないかもしれないし、もしかしたら自分にとっては本当に隣の芝生は青いのかもしれない。
まだ24の若造だから第二新卒で転職できるし、それでダメだったらまた戻ってこればいいんじゃないか。
それくらいの時間的猶予はまだ、ある、はず。多分。24だし。


そんなかんじで最近漠然と転職したいなーと思っています。
転職活動するのか、今の状況に甘んじるか、まだわからないけれど。

なんせ環境の変化にかなりびびるタイプだから。
やっぱり目標がほしいよね。働くなら。


以上最近考えていることでした。

コミュ障というか、自意識過剰というか、

恋人や親友など親密な間柄の人がその友人や恋人などを紹介してくれるという行事が非常に苦手だという話をします。

 

 

親しい間柄の人との会話は楽しい。

初対面の人との会話も疲れはするが楽しめる。

だけど、親しい人と初対面の人(特に親しい人の友人にあたる場合)が混在する交流はめちゃくちゃ苦手だ。

親しい人に対しての自分の振る舞いと初めて会う人に対してのそれって完全に違うじゃないですか。
だからまずどっちの自分で行けばいいのかわからない。
親密モードだと初対面の人からしたら距離感間違っちゃった人にうつるだろうし、反対に初対面モードだと親しい人かるするとあれ?なんかいつもと違くない?あれ?ってなるでしょ絶対。

あとね、あれです、親しい人に初対面モードの自分を見られるのがめちゃくちゃめちゃくちゃ恥ずかしいんです。
初対面モードって、素の自分よりテンション高めにしたり笑顔を意識したり相手に合わせて思ってもないことを言ってみたりやたら共感したりリアクション大きめにしたり当たり障りない退屈な話題をすごく楽しそうに話したりもうとにかく、とにかく、自分をよく知っている人から見たら"無理してる"のが丸わかりじゃないですか。

えっあいつめっちゃ無理矢理テンションあげてる…普段もっと暗いのになんかすげぇ典型的なリア充のモノマネみたいなことしてんじゃん…こいつめっちゃ無理してるめっちゃ自分演じてるなんかイタイ…

って絶っっっっっっっっっっ対思われるじゃないですか!!!!!!!
やだ!!!!!やだやだやだ恥ずかしい自分のプライドが許さない無理!!!!!!!

だから、親しい人+初めて会う人+自分で会うときはもうハチャメチャに緊張してまじでなにも言葉を発せれなくなるんですよね。
もうなに話せばいいのか、どう振る舞えばいいのかわからなくてパニックになってしまうので。
それで双方にめちゃくちゃ気を遣わせめちゃくちゃ気を遣わせていることにめちゃくちゃ申し訳なくなり楽しそうにしなきゃちゃんと会話しなきゃ…と自分を追い込んで結果完全に空回りしてドチャクソにスベったり引かれたり嫌われたりするんですよね。

好きな人たちがその人の好きな人たちを自分に会わせてくれるのってめちゃくちゃ嬉しいことじゃないですか。
それだけ認められていてそれだけ信頼されているってことじゃないですか。
大事な人たちを私に会わせたいって思ってくれるのって本当に、本当に幸せなことなんですよね。

だからその期待に応えられない自分が、台無しにしてしまう自分が嫌で嫌でしょうがないんですよ。

まぁ場数踏んで慣れていくしかないんだろうなぁ。

 

おわり

バタフライ・エフェクトのネタバレを含んだ甘美な陶酔

‪このあいだ『バタフライ・エフェクト』をみて

 

たしかに私と出会ったことで好きな人が不幸になってしまうなら迷わず出会わなかった未来を選択するけど、逆にもし好きな人と出会ったことで私が不幸になってしまっても絶対に過去を変えてほしくはないな。

たとえ今不幸でも、好きな人との幸せな思い出をなかったことにはしたくないから。

 

とロマンチックな思いにふけっていたんですが、昔好きだった人に対してはまじで最悪まじで記憶消したいと思っているので、まぁそういうことですね。

甘え、期待、苛立ち。

バットマンビギンズ」を観た。続けて「ダークナイト」を観た。途中で停止ボタンを押してしまった。

 

私はとても影響されやすいタイプの人間で、それを繊細だとか感受性が豊かだとかなんて言うのかはよくわからないけれど、とにかく、バッドマンシリーズを観たら精神がやられてしまった。

 

悪が、人間の悪の部分が、もうこれでもかっていうくらい描かれていて、まずここでめちゃくちゃ気が滅入った。
お口直しに楽しい映画でもみようと思い「スラムドッグ$ミリオネア」を再生。
スラム育ちの青年がどんどんクイズ解いていってオォーースゲェーースカーーッハッピーー!ってやつだと思っていたらまあまあな大違いで、スラム街で生まれた子どもたちの過酷な生活と残酷な運命が丁寧に丁寧に描かれていてさらに気を病んでしまった。
完全に選択ミスだ。
人間はクソだし世界は汚い。無理。

 

ひと通り嫌〜なお気持ちに浸ってさぁ寝よう、というところで次に襲ってくるのが数々の残虐なシーン。
私は普段あたたかいヒューマン系の映画しか観ないのでそういうシーンへの耐性がまじでない。
人が痛めつけられるシーンや殺されるシーンが脳裏をよぎりによぎり怖くて眠れない。

 

よし、好きな人の顔でも思い浮かべて心を落ち着かせようと思うも、顔がうまく思い浮かべられない。
なんかこわいかんじの顔にすり替わる。
もうお手上げだ。今日は怖い夢を見る覚悟で眠りにつこう。

 

諦めたそのとき、寝てしまったとばかり思っていた恋人からラインが。

 

ここで、ここで甘えが出てしまった。
大のオトナが映画をみてこわくて眠れないなんてダサすぎる、というか呆れる。
せめて自分でどうにかするべきだ。
なのに、恋人に助けてもらいたい、共有したい、頼りたい、という完全にダメな甘え欲がふつふつと湧き出てしまった。通話ボタンを押す私。

 

恋人「もしもし?…え?電話してきたのそれが理由?ごめん今友達といるから電話無理だわ。ラインでなら相手できるから」

 

私「ラインならいい。わかったおやすみ」ピッ

 

追い打ちを食らった。
まじで、まじで電話したことを後悔している。

 

そのあともラインくれたよ、「大丈夫?」とか、気を紛らわせるように楽しい話してくれたりね。

 

彼は優しいと思う。
でも、私がしてほしいのはそういうのじゃなかった。
電話で、文字じゃなくて言葉で発したかった。
こういうのを観て、こう思って、こわくて、あなたの顔も思い浮かべられなくて、、、
それをうんうんって聞いてほしかった。
恐怖心を吐き出させてほしかった。

 

彼は彼なりに最善の対応をしてくれたと思う。
だから彼の対応に対して、自分の思い通りにいかなかった苛立ちをぶつけてしまった自分に怒りが湧いてくる。

 

勝手な期待を押しつけて、彼なりの優しさを受け取れない自分が嫌になる。

 

甘えてるなぁ、自分。
自立してよ、精神的に。頼むよ。

 

穏やかな人間になりたい。

苦しむことを苦しむ日々が

若林正恭『社会人大学 人見知り学部 卒業見込』を読んで自分の中の自意識過剰な部分が爆発し、西加奈子『舞台』を読んでそんな自分を愛しいとさえ思えるようになった。

 

 

私は自意識過剰だ。人がそれほど私のことに関心がないことなど十分承知している。わかってはいる、けど、どうしても人の目を気にしてしまう。誰からも何も思われないような言動を心がける。人からどう思われるか気にするあまりがんじからめになり何もできなくなることも多々ある。

 


‪商品をレジに持って行くときは必ず財布を手に持ってから向かう。事前に小銭を確認し何円玉が大体何枚入っているか把握しておくのを忘れない。自分ができうる最大限の速さで会計を済ませ、店員及び後ろに並ぶ客に「モタモタするな」とイラつかれないようにするために。‬

 

‪試着をするのが苦手だ。忙しくしている店員に声をかけるタイミングがわからない。「すいません」その一言で相手を苛つかせてしまわないだろうか。こんなブスがこの服を?と思われないか。服を着たら店員に見せるべきだよな…無理だ。「着ました!見て!私の姿を!」と言っているみたいではないか。どのタイミングでカーテンを開ければいい?早すぎず遅すぎないタイミングがわからない。そのあとの店員からのお世辞にはどう答えればいい?服を買い慣れ店員とのやりとりもお手の物なイマドキの女性に見られるにはどのような受け答えをするのが正解か?そもそも試着をして鏡で見てみた時点で買うか買わないか判断はついている。しかしそこで即決してはいけない。店員に見せ、彼女のアドバイスをもとに決断せねばならない。どのタイミングで買うか買わないかを発言すれば自然か?‬
‪そんなことに考えを巡らせてしまうので試着という行為にとてつもない疲労を感じてしまう。

‪子どもは、見ている分には可愛くて好きだが接するのは苦手で嫌いだ。不意に赤ちゃんと目が合うと癒されるし「かわいい」と言いそうになる。でもだめだ。「赤ちゃんをかわいいと思う自分かわいい」アピールになってしまう。一方で「ガキは嫌い」というのはモラル的になんかダメな気がする。でも子どもを嫌いだと思う自分をどこか誇らしく思ってしまう。そんじゃそこらの女とは違う感性を持った自分、カッコいい。そして次の瞬間「子ども嫌いな自分カッコいい」と思ってしまった浅はかな自分を猛烈に恥じる。そうやって自分自身を責めることで向き合うことから逃げている自分をまた嫌悪する。そんな自意識とのいたちごっこの日々。‬

 


‪こういう自分の自意識過剰でネガティブで考えすぎな部分に関する悩みを打ち明けると言われるのが‬
‪「そんなの大したことないよ。しょうもないことで悩みすぎ。あなたは恵まれてるんだから。もっと楽しもうよ」‬

 

‪こんなことに悩む私は贅沢なの?私は悩んではいけないの?こんなことで苦しむのはおかしなことなの?悩むのはいけないことなの?‬
‪そうやって、自分が苦しんでいることに苦しんだ。

 


‪でも‬

 

‪どうやら悩んでもいいらしい。‬
‪私の苦しみは私のもの。‬
‪贅沢な悩み?だからなんだ。‬
‪私の苦しみは私しか苦しめない。私しか存分に苦しんであげられない。‬
‪こんなに自意識過剰な自分、もはやなんか愛しくない?‬

 

‪そんな風に思えるようになった。

 


‪これからも私は自分の自意識過剰さに存分に苦しみ、そしてそんな自分を存分に愛す。‬

 

 

 

‪「自分を『演じる』こともある。そんな自分も愛してほしい。」-西加奈子

 

心を閉ざすことで自分を守っている全ての人へ

「It's not your fault. It's not your fault. It's not your fault...
お前は何も悪くない。お前は何も悪くないんだ」

 


あぁ、私は許されたいんだ。
自分の殻に閉じこもってしまうことも、愛することを恐れてしまうことも、誰かに依存することでしか生きる価値を見出せないことも、全て。自分の醜くて大嫌いな部分を全て「あなたは何も悪くないんだよ」と許されたいんだ。そう思った。


なんでお前は普通の生き方ができないんだよ。なんでこんなに歪んだ人間に育ったんだ。なんでこんなに欠陥だらけなんだよ。
そうやって私のことを責め続ける誰でもない自分自身へ
「許してあげろよ。あいつは何も悪くないんだから」
と語られている気がした。

 

 

私は誰のことも愛さないと決めていた。
愛した人に裏切られるのが怖い。私がどれだけ愛しても、愛する人はいつか私に飽き、私よりも大事な人を見つけ、簡単に私を捨てる。
ならば誰も愛さなければいい。誰の心にも踏み込まず、誰にも自分の心に踏み込ませない。そうすれば誰からも裏切られることはないし愛されなくなることを恐れる必要もない。
寂しくなったら、適当な人と適当に遊べばいい。同性とご飯を食べて、友達がいるという安心感を得る。異性と寝て、女としての魅力があるという安心感を得る。そうやって薄っぺらい繋がりを感じながら生きていけばいい。大きな喜びはないが、その代わり大きな悲しみに暮れることもない。
誰も愛さない、それが自分を守る唯一の術だった。


だがショーンマグワイアは語りかける。愛する妻を亡くした痛みを抱えながら。

「悲しみは、忘れていた喜びの価値を思い出させる」
「そりゃ今も悲しい。だが妻との日々は1日たりとも後悔してない」
「君は完璧じゃない。君が出会った女の子も完璧ではない。問題なのは、お互いにとって完璧かどうかなのさ。それを確かめるには飛び込んでみるしかない。答えは自分で探すんだ」

 

彼は少しずつ、少しずつ、私の凝り固まった心をほぐしていく。人を愛することの素晴らしさを思い出させ、一歩踏み出す勇気を与えてくれる。


そして彼は私を抱きしめる。自分を責め続け、自分を許せない私を優しく包み込むのだ。「お前は何も悪くない」と。

 

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