れんちゃんのブログ

自己に酔いしれたOLの戯言

子どもを欲しいと思わない

学生の頃、子どもが欲しくて欲しくてたまらなかった。

絶対に子どもほしいしというか当たり前に子ども作るし幸せな家庭築くぞ〜と息巻いていた。

 

現在。

社会人2年目25歳。

子ども欲しさ、皆無。

全っ然子ども欲しくない。

今の彼氏と結婚してこのまま2人仲良く裕福に暮らしていきたい。

 

なんでこんな180度考えが変わったんだろうって考えてみたんだけど、なんであの頃あんなに子どもが欲しかったかって、愛が欲しかったからだったって思い出した。

子どもは私にとって唯一無二の存在だし、私も子どもにとって唯一無二の存在になる。

私は子どもを心から愛すし、子どもは私なしでは生きていけない。

そこには絶対的な関係がある。

そこらへんの薄情な男みたいに心変わりされることも、裏切られることもない。

だから子どもが欲しかった。

絶対的な愛を保証されたかった。

 

でも、今の彼氏と付き合って、恥ずかしいけれど初めて「あぁ、愛されてるなぁ」と感じることができるようになった。

愛されるってこういうことだったのね、と。

すると、私の愛する彼氏から愛されるという状況になったおかげで、あんなに強かった子どもほしい欲がスーッと消えていってしまった。

え?子ども?いらなくない?

今の彼氏との生活が幸せすぎるからこの生活がずーっと続けばいいと思ってるし。

てか子育てってめちゃくちゃ大変じゃない?それでお互い余裕なくたってギスギスするの嫌だし。

それに子ども産まなかったらけっこう裕福に暮らせない?

精神的にも経済的にも余裕のある生活できるって最高じゃん。

 

てな感じで。

 

前ちらっと「子ども欲しくないな〜子なしでこのまま暮らしたいな〜」って言ったら即却下されましたね。

彼氏の子ども欲しさわりと強固だわ。

育ててくれた親への感謝として、孫の顔を見せたいらしい。

健全な親子関係すぎてなんも言えねぇ。

 

まぁ私自身考えがくるくるくるくる変わるのであまり強くは主張してないんだけどさ。

あと数年したらまた子ども欲しくなるかもしれないし。

というかまだ結婚もしていないし。

 

でもなんか今いかに子どもが欲しくないかを説明したくなって書きました。

やっぱり私は親が無理

私の親は、少し過干渉で少し束縛が強い。

毒親なんてものでは全然なく、まぁ世間一般に言う「堅いご家庭」というやつだ。

だから、親を嫌う、疎むことに罪悪感がある。

親に感謝できない自分は最低だと思うときもある。

でも、やっぱり私は親が無理。

 

先日、親に「彼氏と同棲するから」と報告をした。

私の親のことだから反対されるかもしれない…という不安は杞憂に終わることはなく、予想どおり「同棲するなら今すぐ籍を入れろ」との返答だった。

 

親からさまざまな言葉をかけられた。

「手塩にかけて大事に大事に育てた娘なんだ」

「安心してお前を彼に預けられない」

そういった言葉に吐き気がした。

心の底から気持ち悪いと思った。

 

まず、私は親から行動を制限・禁止されたり指示される筋合いはないと思っている。

だって私はもう自立した大人なんだから。

大学の頃までは「養われている身分なんだから従え」と言われたらもうなにも反論できなかった。

一番自由な時間が多い大学生。

いっぱい遊びたかった。

でも、親の支配に納得なんて全然できなくても従うしかなかった。

養ってもらっていたから。

でも、今はもう違う。

毎日ヒィヒィ言いながら自分でお金を稼ぎ、一人暮らしをして自分で生計を立てている。

もう、親に指示される筋合いも、それに従う筋合いも、なにもないでしょう。

 

次に「手塩にかけて大事に大事に育てた娘なんだ」という言葉。

その言葉に含まれる「子どもは自分たちのもの」「自分たちの育て方が良かったからこんな立派な人間になった」という驕りに虫酸が走った。

よくもそんなに恩着せがましい言葉を吐けるな。

私は大事に育てられたつもりはないし、なんなら育ててくれと頼んだ覚えも、さらに言えば産んでくれと頼んだ覚えもない。(さすがに反抗期の中二すぎるな)

あなたたちの言う「育てる」は、子どもを干渉・制限によって支配下に置き自分自身を満たす行為であり、ただの自己愛強すぎマンだからな。

親の制限のせいでどれだけしんどい気持ちになったかわからないっていうのにそれを「大事に育てた」なんて口が裂けても言わないでほしい。

 

そして「安心してお前を彼に預けられない」という言葉。

私はひとりの自立した人間であり、現在親に預かってもらっているとも将来彼に預かってもらいたいとも思っておりません。

私は大人であり、誰かに保護される対象ではありません。

 

私が、自分の人生を必死に生きてやっとつかんだ幸せを親に潰されるなんて絶対嫌だからな。

全ては私が私の責任のもと選択するのであり、親に介入される余地はどこにもない。
 

彼氏に話したら「それちゃんと説明してわかってもらいなよ」だって。

理解してもらえるなら説明してるよ。

もう何十年も戦ってきたからさすがにわかる、お互い理解しあうのは無理だってこと。

親は自分の考えは絶対に正しいと思うし私も自分の考えは絶対に正しいと思う。

だから諦めた。

唯一の解決方法は離れること。

 

遠くに行きたい。

すぐ会いに行けない、遠くへ。

ただの日記

毎日毎日、スーっと過ぎていく。

その日その日でたしかに嬉しいことや悲しいことがあったはずなのだけれど、総じて見るとスーっと過ぎている。

 

起きて、仕事して、寝る ×5

昼まで寝たり、彼氏と遊んだりする ×2

これを1セットとして、それがあと×何回続くんだろう。

あと何回繰り返されるんだろう。

 

生きる意味ってなんなのか。

そんな、あーモラトリアム真っ盛りの学生のとき考えたことあったよなんて言われそうな問いをこの期に及んでまだ考えている。

生きる意味なんてないのが正解だってわかってはいるけど、でも受け入れられない自分がいる。

ただ生きる。ただただ生きる。

それが人生なんだろう。

でも、ただ生きるにしては苦行が多過ぎないか、人生よ。

人生って、私にとってはゴールのない水泳なんだよ。

だだっ広い海原をひたすら泳いでいるイメージ。

なんで泳ぎ続けてるのか、どこに向かっているのか、あとどれくらい泳ぎ続けれるいいのか、全くわからない。

でも泳ぐのをやめたら死ぬ。

 

多分、考えたら負けなんだろうな。

考えたら人生に飲み込まれる。

1週間先、遠くても1〜2年先くらいまでしか見ない。

あと何十年もあると思うと気が遠くなるから。

その場その場で生きて、その場しのぎの楽しみをで脳を充満させるのが良いんだろう。

 

今日は昼まで寝て、ご飯食べてゲームやって夕方まで昼寝して、ご飯食べてゲームやって今に至る。

これこそ本当になんの意味もない1日だったわけだけど、そこに苦しいことはひとつもなかった。

幸福とは不幸でないことならば、今日はとても幸福な1日だった。

 

明日からまた仕事が始まる。

まったく、諦めの悪い奴だ。

生まれて初めて「死にたい」と思ったとき、私はツイッターを始めた。

最近、プロフィール画面に利用開始年月が表示される仕様になった。
どうやら私は2015年5月からこのアカウントを利用しているらしい。
あのときは生きることが辛くて辛くて、吐き出すように言葉を連ねていた。
一番初めの投稿は、たしか「考える葦じゃなくて普通の葦になりたかった」みたいなやつだったと思う。

そして現在。
引き続き辛い。
今も「ダンゴムシになりたい」だとか「カバになりたい」だとか、ひたすら人間以外の何かになりたいと願っている。
ツイッターを始めてなんと3年の月日が流れている。
もう3年も死にたいと思いながら生きているのか。

そこでふと考える。
いつ、見切りをつけるべきなのか。
どのタイミングで諦めるべきなのか。

死にたいと思った大学休学時から、様々な環境の変化があった。
就職が無事決まり、晴れて社会人生活スタート、最高の彼氏ができた。
至極順風満帆のように見える。

でも、死にたい。
この鬱々とした気持ちは変わらない。
こんなに状況が変わったのに死にたいって、じゃあもうどうすりゃいいんだ。

「止まない雨はない」
そうだね、その通りだね、たしかに雨はいつか降り止む。
私だって、四六時中死にたいって思っていたわけじゃない。
生きようと思っていた時期だってある。
例えば就職がしたてで全てが新鮮だった頃だとか、彼氏との生活が楽しくて仕方ないときだとか。
でも、そんなちょっとした晴れ間なんて長くは続かなくて、またすぐに雲に覆われてはいつもの雨に逆戻り。

多分私は環境を変えれば良くなるとかそういう問題ではなくて、私という個体が精神的に弱くて社会に順応することが難しい仕様になっているんだと思う。

ただ、こんなに死にたい死にたいと思っていても、他の死にたい勢の人たちと違わず、やはり実行にはなかなか移せない。
この期に及んでどこか、なにかに期待してしまっている。
だから、なんとかして生きようと思えるようにならないかと日々模索しているけども、答えは見つからない。
八方ふさがり。完全に手詰まり。

だから、どこかで見切りをつけないといけないんだと思う。
どこかで諦めなきゃならない。
私はやっぱり無理でした。人間として生きるのに向いていませんでした。
このままずるずる生き続けてもしんどさばかりが積み上がり精神的苦痛が増すだけなので覚悟を決めて死にます。さようなら。
みたいに。

そう考えながらも、今日もその見切りとやらをつけることができずヒィヒィ言いながら生きている。

コミュ障にダブルデートは無理だ

今日明日と、彼氏と彼氏の友達カップルと4人で旅行の予定だった。
今、私はひとりホームで帰りの電車を待っている。

事の始まりは2ヶ月前。
「今度4人で釣り旅行行くことになったから空けといてね」
なんの前触れもなく通達された。
私は、自分の親友に会わせたいと思ってくれたことへの嬉しさと彼氏の大事な親友の前でしっかりと振舞わなければならないというプレッシャーとでなんともいえない気持ちに襲われていた。

私はかなりのコミュ障だと思っていて、親しくない人と当たり障りのない話を楽しく行う能力が欠如している。
しかも今回はかなりハードルが高く
①かなり素を出して自然体で接している彼氏とかなり気を遣い慎重に言葉を選びながら適切な話題を選ばねばならない見知らぬ人たちが同居するため自分の振る舞い方が定まらない

コミュ障というか、自意識過剰というか、 - れんちゃんのブログ
↑詳しくはこの記事を読んでほしい
②一泊二日という長時間にわたりかつ寝食を共にするイベントのため想定される疲労がキャパシティを優に超える
③彼氏とその親友の趣味である釣りを私は2回しか体験したことがなく勝手や楽しみ方がよくわからない
とコミュ障殺しの条件がこれでもかというくらい完璧にそろっていた。

たしかにダブルデートって憧れるよな、コミュ強勝ち組の代名詞じゃん。
それをこなすことができればかなりの自信に繋がるだろうな。

でも絶っっっっっっっ対無理。
絶対うまくやれない。
絶対終始無言で空気をぶち壊すか張り切りすぎて空回りした発言を連発して空気をぶち壊す。実績もある。
絶っっっっっっっ対行きたくない。

でも、私は誘いを断ることができなかった。
それはもしかしたらわりとうまく立ち回れて楽しく過ごせちゃったりするんじゃないだろうかといううっすらとした希望がなぜか生まれてしまったからであり(憧れがすごかったので)、彼氏が「おまえがコミュ障なのは知っている。緊張しても空回りしても大丈夫ちゃんと橋渡しするしそういうのも全部見越してるから。大丈夫だよ絶対」と何度も言ってくれたからでもある。

甘かった。非常に甘い考えだった。

当日。途中のSAでまず顔合わせをした。
「初めまして〜よろしくお願いします」
と言葉を交わしたほんの1分足らずで感じた。

無理。
無理無理無理。

友達カップルが放つ圧倒的な陽のオーラ。
今まで私以外の3人で仲を深めてきたことがわかる親密な空気。内輪の雰囲気。

「じゃあ俺ら先に行ってるわ〜」と友達カップルが出発した瞬間、
泣いた。えげつないほど泣いた。

「◯◯(彼氏)くん本当にごめんなさい、やっぱり私無理だ。こんなことして許してくれなんて言わない。愛想つかされてもしょうがないと思う。それでも私は無理だ。本当にごめんなさい」
と口早に謝罪して全速力で逃げた。

そう、脱走を図ったのである。

ここは高速道路上のサービスエリア。
冷静に考えて逃げ場などない。
でも私は逃げた。全速力で走った。

「は?待てよ!!」と彼氏も全速力で追いかけてくる。
こんなにガチで鬼ごっこをしたのは久しぶりだった。そして、すぐに捕まった。

「は?まだ挨拶しただけじゃんその数分でなにがわかるんだよ大丈夫だよ絶対大丈夫だから」
となぐさめられ、絶対に帰りたいという思いは変わらないがここで逃げても帰る術がないと諦めしぶしぶ目的地まで同席することにした私。

絶対大丈夫なわけないし事実全然大丈夫じゃなかった。

釣りが始まってからも私は無の心で竿を投げては引くを繰り返し、他3人のキャッキャした会話に全く入ることができず、気を遣って話しかけてくれた彼女さんにも「あ、ハイ…」「そうなんですか…グヘ…」というなんもと味気なく気持ち悪い返しをしてしまい、気づけば1人かなり遠のいたところに位置してしまっていた。

しばらくしたら彼氏が「ごめん、おまえがここまでだとは思わなかった。ほんとごめん。全然楽しくないよな。帰る?おれうまいこと言っとくから。駅まで送るよ」

こうして私のダブルデート大作戦は開始1時間で終了した。


彼氏には本当に申し訳ないことをしたと思う。顔にヘドロを塗りたくった。
旅館の手配などあらゆる準備をしてくれた友達カップルには一生顔向けできない。

私は大人になってから付き合った人が今の人の前に2人いて、どちらも一度ずつ友達に会わせてもらったことがあった。
そのどちらもたった数時間話しただけにも関わらず評価が最悪で、「あの発言はやばいでしょ」「え、あの子大丈夫?」「他にもっといい女の子いっぱいいるでしょ」などと彼氏及びその友人ともに酷評の嵐だった。
マジでキツかった。

だから今回はできるだけ発言せず話しかけられたら相づちをうつという姿勢に徹していたのだが、結果あまり楽しくなさそうというオーラをバンバンに放ってしまい相手方にかなり気を遣わせてしまった。最悪だ。


彼氏はほんとうにできた人間だと思う。
無理に連れ出したことを心から詫びてくれたし(断らなかった私が悪いのに)、「人には得意不得意があるから。おまえがこういうの苦手っていうのがわかっただけで嫌になったり愛想つかしたりなんてするわけない」と言ってくれた。

自分の恋人を友達に会わせるってわりと覚悟いることだと思うし、それをあんなに嫌がられて離脱までされたらふつう気分良くないと思う。呆れるでしょ絶対。
そういう気持ちに全くならずにむしろ優しくなぐさめてくれる彼氏はほんとうにいい人だと思う。
こういう人と一緒にいられたら心の底から幸せだと思う。

でも、だめだ。
彼氏の良さを感じれば感じるほど、自分のコンプレックスが刺激されて苦しくなってしまう。
私は不釣り合いだ。重荷でしかない。
もっと、社交的で愛想が良い陽に当たった女の人と一緒になったほうが幸せになれると思う。

もう、どうすればいいんですか。
どうすればいいっていうんですか。

3連休、スタートです。

しんどいもんはしんどい

どの仕事にも閑散期と繁忙期というのがあると思う。

私は最近繁忙期に入り、会社を出るのが毎日22時や23時という生活が続いている。
もちろん私より忙しい人たちはいくらでもいる。こんなんで辛いとか甘え以外のなにものでもない。その通りだと思う。残業自慢をしようと思っているのではない。
ただ、他と比較してではなく、私個人の感じ方として、けっこう、いやかなり疲労が溜まっている。しんどい。
そう、しんどいとか辛いとかそういった感情って人と比較したり数値化したりできるもんじゃないんだよね。
原因がなんであれ、その人が辛いと思ったら辛い。その感情に大小や優劣はない。

まず口内炎ができた。しかも全然治らない。
原因はストレス。
次に皮膚がただれたように炎症を起こした。全然治らない。
原因はストレス。
慢性的な疲労。睡眠不足。

人と話すこと、会うことが億劫になった。
もともと内向的で一人でいる時間のほうが長かったけど、それでも前まではたまに友達に会いたくなって楽しく遊んだりしてた。
今は全く、もう全く会いたいと思えない。
とにかく人に会わず話さず一日中寝て少しでも疲労を回復したい。なにもしたくない。

同居している家族と顔を合わせるのも嫌になった。
毎晩ご飯を作ってくれて洗濯もしてくれる。本当にありがたいことだと思う。
でも、疲れて家に帰っても人と顔を合わせないといけない、会話をしないといけないということが正直めちゃくちゃしんどい。全然心が休まらない。
いくら何年も一緒に暮らしてきた家族といっても全く気を遣わないんけじゃないし。
話しかけられたら返事をしないといけない。
出された食事は食べないといけない。
やってくれたことに対して感謝の意を示さないといけない。
ストレス。ストレス。ストレス。

休日は2日じゃぜんぜん足りなくて、2日間ダラダラ寝倒したら「せっかくの休日なのになにもせずに終わってしまった。働くために休んでいるようなもの。意味わかんない」と自己嫌悪に陥り心のリフレッシュが全くできないし、外に出かけたら出かけたで疲れすぎて身体的なリフレッシュが全くできない。

ググったら「うつの一歩手前」らしい。
まあそうだよね。人に会えないって典型的なうつだもんね。

「休めない時期 ストレス軽減法」でググったら出てきた記事には「上司に根回しをして休みましょう」。
そうですか。

なんでだろうね。
他のみんなも同じように長時間労働してるのになんで私だけ心身ともに異変が起きちゃってるの。
なんで私はストレス耐性がないんだろう。
どうすればいいんだろう。

日曜の夜、明日からのことを考えて毎回眠れなくなる。


でも、大丈夫。
私は知っている。
こうやって弱音を吐き出せばなんとかなる。
人に話すのが疲れるならこうやって文字に書き出せばいい。

人に話すと「不幸自慢ぽくなってないかな。悲劇のヒロイン演じてんじゃねぇよとか、これくらいで何言ってんのとか思われないかな。」ってめっちゃ気にしちゃうよね。

ブログのほうが「誰がなんと言おうとしんどいもんはしんどいんじゃ!」って素直に吐き出せるよね。

うん、私にとっては文章に書き出すことがストレスの発散方法になってる。

 

永遠に繁忙期が続くわけじゃない。
終わりは見えている。

大丈夫。大丈夫じゃないけど、大丈夫。

これは仕事ではない、作業だ

最近、転職したいなぁと思い始めた。

事務職として働き始めて9ヶ月。
初めの半年間は非常に楽しかった。
毎日新しい仕事を覚えていくことで自分が社会人として成長している気がしたし、新しい知識を吸収していくことでスキルを身につけていっている気もしていた。

そして仕事にも慣れ一通りのことは滞りなく行えるようになってきた頃、はたと気づいてしまった。


私がしていることは「仕事」というよりも「作業」に近い。


なにも生み出さず、与えられたことを淡々とこなす作業。機械のほうがより速く正確に行える作業。近い将来AIに取って代わられるであろう作業。

凄まじい劣等感に襲われるようになった。

どれだけ残業しても仕事をしている実感を得ることができず「今やってること、バイトでもできるよなぁ」と思いながら過ごすようになった。
周りのみんながバリバリ働いて成長していく中、一人取り残されていくような気持ちになった。
自分がどんどん無価値で無能で落ちぶれた人間になっていってしまうような気になっていった。


多分、自分の市場価値をきちんと自覚できていないんだと思う。
それなりに勉強ができてそれなりの大学を出たプライド。
自分はできるという根拠のない自信。
そこらへんの大学生と一緒。
転職してこっちにきた先輩何人かに話を聞いてみたけど、みんな口をそろえて「自分はできる人間だと思っていた。でも現実はすごく厳しかった。なにもできなかった。そうやって挫けたから今のこの仕事に納得して働けている」。


営業が嫌だったから事務を選んだ。
文系の7割は営業職と言われているけれど、内向的な性格だから多分向いてないしやりたくない。
外交的な人たちが集まる活気のある業界にいったら絶対疲弊して潰れて終わる。自分にそんなバイタリティなんてない。
競争なんて嫌。やりがいなんてなくていいから奥でひっそりと働きたい。
そういう気持ちで当時事務職を選んだから、今事務職に感じている不満や他の職種への憧れは完全に「隣の芝生は青い」状態だと思う。

他の職種でもルーティンワークや地味な作業はあるだろうし、みんながみんなやりがいを感じているわけではないかもしれない。


でも、実際隣の芝生に行ってみて別に青くともなんともなかったって実感しないと今の仕事に永遠に納得できないかもしれないし、もしかしたら自分にとっては本当に隣の芝生は青いのかもしれない。
まだ24の若造だから第二新卒で転職できるし、それでダメだったらまた戻ってこればいいんじゃないか。
それくらいの時間的猶予はまだ、ある、はず。多分。24だし。


そんなかんじで最近漠然と転職したいなーと思っています。
転職活動するのか、今の状況に甘んじるか、まだわからないけれど。

なんせ環境の変化にかなりびびるタイプだから。
やっぱり目標がほしいよね。働くなら。


以上最近考えていることでした。